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フィリピンは約7,641の島々から構成される島国で、セブ島やボラカイ島など有名な観光地が多くあります。日本からは飛行機で約4時間の距離にあり、日本から一番近い東南アジアでもあります。
フィリピンの歴史は、➀スペイン統治以前(紀元前~1521年)、②スペイン統治時代(1521〜1898年)、③アメリカ統治時代(1898〜1946年)、④独立以後(1946年以後)に大きく分けることができます。
①スペイン統治以前(紀元前~1521年)
6万7000年前のアジア最古のホモサピエンス、ルソン原人の人骨はフィリピンの「カラオ洞窟」で発見されており、このころから人類がフィリピンに存在していたことがわかっています。
その後、東南アジアからネグリト民族が移住し、続いてマレー系民族が海を渡ってフィリピンにやってきました。1世紀にはインド、アラブ、東アジア、東南アジアの国々から宗教、言語、文化的な影響を受けながら、小さな海洋国家が点々と全国にできました。また国家まで至らなかったものの、「バランガイ」と呼ばれる独立している集落も多くありました。
②スペイン統治時代(1521〜1898年)
1521年にマゼランがフィリピンにやってきて、1565年にスペインによる植民地化が始まりました。この植民地化によって、フィリピンは初めて統一されました。フィリピンという国名は当時のスペイン皇太子フェリペ2世から取られています。マゼランは首長ラプラプ王との決闘で負け、亡くなっています。
そこから300年間以上のスペイン植民地化を経て、今でもその影響がフィリピンでの日常生活で垣間見ることができます。その一つとして、フィリピン人の9割以上はキリスト教であること。またスペイン語由来の言葉や地名、パエリアなどのスペイン料理は文化的にもフィリピンに根付いています。
③アメリカ統治時代(1898〜1946年)
1898年には米西戦争でスペインが敗戦し、長い植民地支配からフィリピンは独立を果たしましたが、アメリカはこれを認めず、統治下に置かれることになりました。1901年には公共教育が開始され、英語が教育言語として利用されるようになりました。そのため、フィリピンでは今でも英語が公用語として利用されています。
1941年に日本軍がフィリピンを空襲し、1942年にはマニラを占領しました。日本はアメリカを降伏させ,フィリピンを3年8カ月に及ぶ軍政を行いましたが、1945年にダグラス・マッカーサーによってフィリピンを奪還しました。
④独立以後(1946年以後)
1946年に独立をしたフィリピンは共和国として、現在に至ります。文化的にもユニークで、土着文化を残しつつ、バロック風のカトリック教会はスペインがもたらしたヨーロッパ文化の象徴であり、近代的な学校校舎はアメリカ文化を代表しています。スペイン統治時代の文化と伝統は、言語をはじめ今もなお国民の日常生活に根強く残っています。
近年では高い英語力とホスピタリティを活かし、世界中のホテルやレストラン、医療福祉分野で活躍しているフィリピン人も多く、また混血が進んだことによって美男美女が多く、ミスユニバースの常連国となっています。
フィリピンは、7,641の島から成る群島国家ですが、人が住んでいる島は1,000島ほどといわれています。広さは約30万平方キロメートル、日本の80%くらいの大きさで、北緯4.23度から21.25度、東経112から127度に位置します。山が多い地形で活火山が50ほどあり、地震も発生します。海岸にはサンゴ礁が多く、海の透明度が高いため、世界中のダイバーが集まっています。
フィリピンには81の州があり、マニラのあるルソン島・セブのあるヴィサヤ諸島・ダバオがミンダナオ島の3つのグループに分けられることが多いです。
日本からは飛行機で約4時間で来ることができ、ニノイアキノ国際空港(マニラ)・クラーク国際空港(クラーク)・マクタンセブ国際空港(セブ)から乗り入れることができます。